鶉野飛行場跡地見学
日曜日は加西市にあります、鶉野飛行場跡地及び防空壕の見学をさせていただきました。
お盆休みにセスナ機に乗ったところですのでまた違った形で飛行機について何か感じることができればと思いまして。
鶉野飛行場は第二次世界大戦中、川西航空機(現新明和工業)の工場用として使われた飛行場ですが、海軍航空隊の訓練基地としても使用されここから特攻隊の出撃もあったそうです。
今回、ガイドいただいたのは上谷昭夫さん。
上谷さんは鶉野飛行場に関連する史実や資料の収集、そしてこれらを多くの人々へ伝える活動をしれおられそういう意味ではこの飛行場について最も多くの事をご存知の方です。
集合場所は最寄りの北条鉄道法華口駅。
こちらでまずは上谷さんからのブリーフィング。
戦時中はこの駅から飛行場へ歩いて通勤なんてこともあったそうです。
この日は生憎の雨。
そして飛行場までは結構な距離ありますので車での移動でしたが、
道中こんな洞窟がありまして、これらはすべて空爆時に備えた防空壕です。
ほんと洞穴的なものからしっかりコンクリートで枠組みされた防空壕もありました。
こちらの防空壕は試しに中に入ってみましたがもちろん中は真っ暗です。
すこし奥に入ると5~6m進むと出口でした。
当時この周辺には特に建物がなかったそうで、急な空爆があった際にはこちらに駆け込んだそうです。
飛行場跡地と言っても建物は残念ながらもう残っていません。
しかし当時使用された防空壕兼、飛行指揮所は現存しておりそこを見学しました。
つい5年前までは水没してたんですね。
階段を降りて行きすこし廊下を歩くと頑丈にコンクリートで固められた部屋が2部屋続いています。
壁にはこの飛行場にまつわる様々な資料が掲示してあります。
こちらは特攻隊の方の遺書です。
原文では達筆すぎて読めないので上谷さんが転記したそうです。
こちらには20枚程でしょうか掲示してありましたが、実際この飛行場から特攻隊として飛び立ち戦死した方は63名もいたそうです。
1機に操縦、偵察、通信の3名が搭乗していたそうでこれにはちょっと驚きでした。
正直、死にに行くのはほぼ明白なのにわざわざ3名フルに搭乗してたなんて・・
左上の写真は終戦後米軍に没収された紫電。
なので星の印に変えられてます。
写真のタイトルの通り、特攻隊員への上官からの最後の訓示です。
訓示してる方も聞いてる方も、末がどうなるかはわかってる中ってのは悲しすぎます。。
これが滑走路です。
長さは1.2kmあるそうです。
さすがに舗装はかなり傷んでて凸凹状態でした。
滑走路脇の道路。
きっとここに戦闘機が駐機されてたのでしょう。
ちなみに滑走路跡もこの道も普通に車が走れます。
この日も何台かの車が走ってましたし、私達も走りました。
天候が悪く見学可能な箇所すべてを見ることはできませんでしたが、あの資料を見るだけでも当時の状況を知りそして当時の人達の思いがほんの僅かですが知ることができました。
それだけでも充分価値のある見学ツアーでした。
そしてこんなに身近に過去の事を知ることができる場があることを最近まで知らなかったことが恥ずかしいとも。。
また改めて訪れてみたいと思います。