上谷明夫さん講演会と高砂町家カフェでシフォン

昨日は加古川東ライオンズクラブさんの40週年記念事業の中で開催された上谷明夫さんの後年を拝聴してまいりました。
会場になったのは加古川市の尾上公民館。
この周辺には1937年に開設された加古川飛行場(通称:尾上飛行場)がありました。
現在ではその存在を示すものもほとんど残っていないそうで、加古川東ライオンズクラブさんがそのことを示す説明板と記念碑を尾上公民館に寄贈されるという事でその除幕式がとり行われました。
除幕式後の記念講演として加西の鶉野飛行場を始め播磨地域の戦史に詳しい上谷明夫さんが招待されたそうです。
上谷明夫さんの講演
上谷さんの講演の様子

 

 

 

 

 

ちょうど2年前上谷さんには鶉野飛行場周辺の戦争遺跡のガイドしていただきました。
そう、この頃はまだ個人的にお願いしてガイドしてもらえてたんですよね。
https://o-kome.net/4891/

今回はもちろん加古川飛行場についてのお話がメインです。

加古川飛行場の正門

しかし、そもそも加古川に飛行場があったことご存知でした?
しかもこの飛行場から若き士官が特攻隊員として飛び立っていたんです。
私もその事を知ったのは最近です。

資料の展示もありました

上空から見た加古川飛行場周辺

高砂生まれの上谷さんは子供の頃実際この加古川飛行場を離着陸する飛行機を見物によく行かれてたそうです。
そんな中、空襲警報が鳴ると飛行機を隠すためになんと押して尾上から高砂の小松原や米田まで移動させてたそうです。
押していたのは地元の中学生が借り出されていたそうですが、あんなの押してしかも尾上から橋をわたって高砂までって信じられません。

97式の模型

そんな実体験も交え、史実をすらすらと我が事のように語る上谷さん。
もう何というか生きる播磨の近代史教科書?いえ教科書よりも深く身近な歴史を私達に伝えてくれています。

最後に上谷さんもお話されていまいしたが、このような史実を若い世代に伝えていくことでこれからも永く平和な世の中が続く事を願います。
そういう意味ではここに飛行場があったんだということが少しでも多くの人に知ってもらえる場ができたのは喜ばしいことですね。

講演を聴いた後は、高砂にもどってまどいせんさんにてお茶タイム。
みんな飲み物だけなのに私だけシフォンまでいただいちゃいました(^_^;)
昭和レトロな雰囲気の中ゆったり落ち着きました。

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